田口壮の『阪神に行きたくない10ヶ条』とはいったい何だったのか?

今やプロ野球ファンの間で伝説となっている

田口壮の『阪神に行きたくない10ヶ条』

これはいったい何だったのか?この記事で詳しく振り返ってみます

田口壮の『阪神に行きたくない10ヶ条』が飛び出した経緯

阪神は関西学院大学の田口壮の獲得を熱望したが…

1991年(平成3)のドラフト会議前、阪神タイガースは、関西学院大学の田口壮を1位の筆頭候補においてドラフト戦略を組んでいました

いわゆる暗黒時代と呼ばれた時期の真っ只中だった阪神は、当時ショートのレギュラーだった和田豊が、身体の負担の影響で翌シーズンからセカンドへのコンバートが決定しており、その穴を大学ナンバーワンショートで即戦力の呼び声の高い田口壮で埋める予定でいました

和田豊がセカンドに回ってしまうと、実績のあるショートは平田勝男や高橋慶彦という引退間近のベテランしかおらず、即戦力の田口を獲得出来れば1年目からショートのレギュラーでという考えも阪神首脳陣にはあったようです

関西学院大学時代はリーグで首位打者、最優秀選手を各一度ずつ。ベストナインは4回受賞。大学通算で打率.327 10本塁打 47打点。4年間で放った123安打は未だに破られていない、関西学生野球連盟史上、最多安打です(立命館時代の現楽天・辰巳涼介選手は1本及ばずの通算122安打でした)

しかも阪神と甲子園の地元・西宮市出身という、人気・実力・チーム状況すべてにおいて、阪神としては喉から手が出るほど田口壮選手は欲しい逸材だったわけで、これほどチームの需要にドンピシャな選手はそういないというくらい完璧なドラフト候補だったわけです

この年のドラフトには駒沢大学の若田部健一投手(ダイエー1位)や東北福祉大学の斎藤隆投手(横浜1位)など、即戦力の目玉投手や、怪我をしているものの潜在能力はずば抜けていると言われていた日本大学の落合英二投手(中日1位)などもいましたが、阪神はそれらの好投手に目もくれず田口壮選手を獲得の大本命に突き進んでいましたし、関西のマスコミも『阪神1位 田口』という話題を連日のように取り上げていました

ところが!そのドラフト会議の直前、田口選手は突如会見を開き

『阪神に行きたくない10ヶ条』

なる文章を多くの記者の前で読み上げたのでした

田口壮が読み上げた『阪神に行きたくない10ヶ条』の内容とは?

こちらが田口壮選手が読み上げたとされる『阪神に行きたくない10ヶ条』の内容です

  • その1・自分は野球選手である以上、常に勝利というものを目標として野球人生を送りたい
  • その2・自分の夢は日本シリーズで優勝する事であり、阪神が日本シリーズで優勝する事は夢にしても出来過ぎている
  • その3・中村監督が個人的にあまり好きな人種ではない。陰気臭いという感じがする
  • その4・球団がせこい。金儲けのことしか頭にないように見える
  • その5・フロントの二枚舌が酷いという。傍から見ていてもその信憑性は高いと感じられる
  • その6・ファンである川藤コーチが辞任した。他の阪神のユニホームを着た人間に打撃など教わりたくもない
  • その7・阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが野球を見に来ているというよりも、騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない
  • その8・これほどまでに勝てないのは育成部門が悪いのではないか。自分も潰されそうで恐ろしい
  • その9・阪神沿線が肌に合わない
  • その10・大物選手がロクな辞め方をしていない。選手を大事にしない球団には入りたいと思わない

当時の阪神、いわゆる暗黒時代真っ只中とはいえ、まぁ見事な言われっぷりです(笑)

インターネットがある今の時代にこんな事をやってしまったら大炎上どころの騒ぎではないと思うのですが…

なぜ田口壮選手は 『阪神に行きたくない10ヶ条』 を出したのか?

田口壮選手はなぜ 『阪神に行きたくない10ヶ条』 を発表したのか?

プロ入り当初はこの件に関しての真実は『墓場まで持って行く』と言っていたそうですが、2015年9月のexciteニュースに田口さん本人がこの 『阪神に行きたくない10ヶ条』 について語っています

ところで阪神と田口氏といえば、これを思い浮かべる方もいるのでは。1991年のオリックス入団前、田口氏は阪神への入団を拒否する声明を発表したことがある。このことについて話題を振ると、こんな答えが返ってきた

「自分の中では当時も阪神が嫌いなどという思いはなく、若さゆえの至らなさが招いてしまったことです。オリックスの担当スカウトが大学の先輩だったこともあり、どうにかしてオリックスに行きたいという気持ちが強すぎました。そのときに発した自分の言葉がマスコミの方々に誇張されて伝わってしまったんです。今思えばなんにも言わなければ良かったのですが。当時は多くの方に迷惑をかけてしまいました。今でも申し訳なかったと思っています。」

どうやらこれが 『阪神に行きたくない10ヶ条』 の真実のようです

ただ、大学生一人の考えでこんな事が出来るわけもなく、スカウトや学校の入れ知恵も当然あったはずです

というのも、当時から言われていたのが阪神と関西学院大学の関係です

関西学院大学は阪神タイガースの地元西宮市の大学でありながら、長い間阪神へ選手の入団がなく、関西学院大学側が阪神にいいイメージを持っていないと言われていました

一方のオリックスは担当スカウトが関西学院大学OBでもあり、田口選手本人や学校側との関係も良好

個人的には関西学院大学や担当スカウト総出で、この 『阪神に行きたくない10ヶ条』 を仕組んだんじゃないかなと思っています

結局この年のドラフトで田口選手に逃げられた阪神は、1位で大阪桐蔭の萩原誠選手(三塁手)2位で日本石油の久慈照嘉選手(遊撃手)を指名

さらに4位で東洋大学の桧山進次郎選手(高校時代は遊撃手、大学では三塁手)を指名

この指名選手を見ても解る通り、阪神はとにかく内野手が欲しくて仕方がなくて、田口選手は本当に欲しくて欲しくて仕方がなかったんでしょうね

でも、もし田口選手が指名出来ていればこの3人とも阪神に指名されていなかったかもしれません

最大の補強ポイントで目玉選手を指名出来た事で余裕が出来たと思いますし、その枠で即戦力の投手を獲りに行っていたような気がします。実際3位は社会人熊谷組の弓長起浩投手でしたし

阪神の球団サイドもこの『阪神に行きたくない10か条』をどう受け止めたのかは解りませんが、田口選手がオリックスに入団し、主力選手となりFA宣言した時に阪神は真っ先に獲得に動いていますし、田口選手自身も過去のわだかまりがあったにも関わらず、自分の獲得を望んでくれた阪神タイガースのFA参戦に対し『涙が出るほど嬉しかった』と言っていました

FAの時はメジャーと阪神でかなり迷ったそうで、その迷っている時に当時の阪神の星野仙一監督は阪神入りを強く進めるのではなく『お前の人生なんだからお前がしっかり考えて決めろ』という言葉をかけられたそうです

結局ドラフトでもFAでも阪神とは縁のなかった田口選手ですが、オリックスやメジャーでもリーダシップや人望のある人なんだろうなと思って見ていましたし、何より地元の人でもあるわけですから、いつか指導者として阪神のユニフォームを着て欲しいなと個人的には思っています

オリックスと阪神は選手や指導者の行き来が多いイメージなんで、全くない話ではないと思うんですよね

まああの10か条騒動を知る人たちは、いろんな意味で大盛り上がりするかもしれませんが…汗

でも、FAの時でも阪神ファンは歓迎ムードだった事を考えれば、今更過去の事でゴタゴタと野次るようなファンもいないでしょう

ドラフト時に、『僕は巨人が嫌いなんです』的な発言をしておきながら、FAで自ら巨人入りした某〇田氏にも巨人ファンは寛容だった気もしますし

最後に

ドラフトに自由枠や希望枠があった当時、関西の大学や関西出身の選手からドラフトの超目玉レベルの選手が出てきても、阪神はことごとく振られていたイメージがあります

大阪体育大学の上原浩治投手や立命館大学の山田秋親投手を筆頭に、関西に縁のある逸材はかなりいたんですよね。しかも少年時代は阪神ファンだったという選手も結構いましたし

で、自ら入団出来るチームを選べて、好きだった地元球団の阪神が誘ってくれてるのに、それでも阪神を選ばず他球団を選ぶ。こんな選手多かった気がします

好きな球団ではあってもいざ自分の職場となると…という感じだったんでしょうかね?

まあ良くも悪くも阪神タイガースというチームはいろんな話題を振りまいてくれる球団ですよね笑

追記

1992年のドラフト、阪神は田口選手を獲れなかった穴埋めとして日本石油の久慈照嘉選手を2位で獲りに行ったわけですが、この久慈選手が1年目からショートのレギュラーを獲得し、オールスターにも出場し新人王まで獲るんですから、ドラフトって面白いですよね(久慈選手も高校時代は西の立浪・東の久慈と言われるような凄い選手だったんですけどね)

一方の田口選手はルーキーで開幕ショートスタメンを飾ったものの、初回にいきなり大暴投のエラーをかましたり、監督の厳しい指導(あのイチロー選手を見いだせなかった土井正三監督)などもあり、イップスと難聴になるなど散々な1年目でした

結局ショートの守備はその後も改善される事無く、入団3年目には外野手に転向することになるわけですが

タラレバを言っても仕方がありませんが、もし田口選手が阪神に入団していたらこの久慈選手の新人王は当然ありませんでしたし、我々が当たり前に見ていた外野手の田口選手も誕生していなかったかもしれませんね

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