1965年からプロ野球に導入されたドラフト制度
オリックスと球団合併してしまった近鉄バファローズですが、2003年まではドラフトに参加していました
近鉄バファローズはどんなドラフト1位選手が入団し、どれだけの実績を残して来たのでしょうか?
近鉄バファローズの歴代ドラフト1位選手で、成功したドラフト1位選手・失敗したドラフト1位選手がどれくらいの割合なのかを詳しく紹介します
プロ野球 成功成績の基準
プロ野球での成功の基準なんですが、投手は『 通算28勝以上 』野手は『 通算427安打以上 』というひとつの目安があるので、この記事でもその成績を目安として失敗と成功の線引きをさせていただきました
このプロ野球の成功基準である『投手通算28勝以上』『野手通算427安打以上』 という数字は、近畿大学でスポーツマネジメントやポーツ社会学を専門とする黒田次郎教授が様々な数字を元に算出した数字です
また、投手28勝だけだとリリーフで活躍した投手の扱いが難しくなってくるので、スポーツライターの小関順二さんが言われているセーブとホールドは0.5勝換算として計算しています
なので、この記事での成功基準は
■ 投手は通算28勝以上(セーブとホールドは0.5勝換算)
■ 野手は通算427安打以上
このようにさせていただき、この通算成績以下を『失敗』とします
また、 逆指名ドラフト時代の1位2位は1位のみ。自由枠2枠は両方1位とします
近鉄バファローズ 成功したドラフト1位選手一覧
名前 | 指名年 | ドラフト時所属 | 通算成績 |
---|---|---|---|
太田幸司 | 1969年 | 三沢高校 | 試318 58勝85敗4S 防.4.05 |
佐々木恭介 | 1971年 | 新日鉄広畑 | 試1036 安883 本105 打412 率.283 |
栗橋茂 | 1973年 | 駒沢大学 | 試1550 安1301 本215 打701 率.278 |
久保康生 | 1976年 | 柳川高校 | 試550 71勝62敗30S 防.4.32 |
石本貴昭 | 1980年 | 滝川高校 | 試267 35勝19敗48S 防.4.04 |
金村義明 | 1981年 | 報徳学園 | 試1262 安939 本127 打487 率.258 |
小野和義 | 1983年 | 創価高校 | 試284 82勝78敗4S 防.4.03 |
佐々木修 | 1984年 | 近大工学部 | 試181 36勝38敗2S 防.4.40 |
阿波野秀幸 | 1986年 | 亜細亜大学 | 試305 75勝68敗5S 防.3.71 |
高柳出己 | 1987年 | 日本通運 | 試119 29勝30敗 防.4.27 |
野茂英雄 | 1989年 | 新日鉄堺 | NPB:試139 78勝46敗1S 防.3.15 MLB:試323 123勝109敗 防.4.24 |
高村祐 | 1991年 | 法政大学 | 試287 83勝102敗9S 防.4.31 |
小池秀郎 | 1992年 | 松下電器 | 試287 83勝102敗9S 防.4.31 |
前川克彦 | 1996年 | PL学園 | 試149 31勝45敗 防.5.26 |
山本省吾 | 2000年 | 慶応大学 | 試287 40勝42敗2S 防.4.41 |
坂口智隆 | 2002年 | 神戸国際大付 | 試1545 安1526 本38 打418 率.278 |
香月 良太 | 2003年 | 東芝 | 試371 18勝10敗3S77H 防.3.88 |
いてまえ打線、猛牛打線と言われるほど強打が売りだった近鉄ですが、ドラフト1位で成功した選手は意外と投手が多いです
ドラフト史上最多競合の野茂英雄投手と小池秀郎投手が、結局両方近鉄に入団したというのも面白いですね
しかし小池投手、亜細亜大学時代は『巨人・ヤクルト・西武意外拒否』と強烈な在京思考だったのに、なぜか大阪の松下電器に入りプロも近鉄に入るというのは一体なんだったんでしょうか?とんでもない回り道だったと思うのですが…
8球団競合の大学時代から社会人の2年で相当評価を落としたみたいなんですが、やっぱり選手にも旬の時期があるんだよなーと感じさせる事件でした
近鉄バファローズ 成功しなかったドラフト1位選手
※1966年は1次2次ドラフトが有
名前 | 指名年 | ドラフト時所属 | 通算成績 |
---|---|---|---|
田端謙二郎 | 1965年 | 鎭西高校 | 試26 1勝7敗 防.6.00 |
加藤英治 | 1966年 | PL学園 | 試4 0勝0敗 防.3.86 |
門野利治 | 1966年 | 平安高校 | 試7 0勝0敗 防.9.69 |
水谷宏 | 1968年 | 全鐘紡 | 試116 5勝12敗 防.3.80 |
市橋秀彦 | 1970年 | 九州工業 | 試1 0勝0敗 防.4.50 試24 安5 本1 打3 率.192 |
仲根正広 | 1972年 | 日大桜丘 | 試30 2勝8敗 防.4.34 試347 安189 本36 打120 率.247 |
福井保夫 | 1974年 | 松下電器 | 試43 2勝3敗 防.3.12 |
中野英明 | 1975年 | 東海第二 | 一軍公式戦出場なし(投手) |
登記欣也 | 1978年 | 神戸製鋼 | 試1 0勝0敗 防.27.00 |
藤原保行 | 1979年 | 岐阜商業 | 試11 1勝2敗 防.6.07 |
加藤哲郎 | 1982年 | 宮崎日大 | 試151 17勝12敗 防.4.60 |
桧山泰浩 | 1985年 | 東筑高校 | 一軍公式戦出場なし(投手) |
米崎薫臣 | 1988年 | 日本生命 | 試196 安75 本4 打36 率.234 |
寺前正雄 | 1990年 | 北陽高校 | 試9 0勝5敗 防.4.91 |
酒井弘樹 | 1993年 | 國學院大学 | 試154 21勝26敗 防.3.68 |
田中宏和 | 1994年 | 桜井商業 | 一軍公式戦出場なし(投手) |
真木将樹 | 1997年 | 法政大学 | 試58 11勝14敗 防.4.71 |
宇高伸次 | 1998年 | 近畿大学 | 試31 2勝2敗 防.3.51 |
宮本大輔 | 1999年 | 延岡学園 | 試43 2勝3敗 防.4.26 |
朝井秀樹 | 2001年 | PL学園 | 試113 25勝33敗 防.4.09 |
1970年代や球団末期はかなり悲惨なドラフト1位になってますが、80年代は野茂英雄投手や阿波野秀幸投手など、後の優勝メンバーやエースクラスを競合で引き当てて獲得出来ています
在阪パ・リーグというのはドラフトではかなり不利な時代が長く、拒否されたり交渉がかなり難航した挙句渋々入団というケースがかなり多かったようなので、なかなかいい選手が指名できなかったのがこの結果になったのでしょうね
近鉄バファローズ 歴代ドラフト1位 成功&失敗 まとめ
大阪近鉄バファローズの歴代ドラフト1位選手、成功・失敗の割合は
成功17名・失敗21名となっています
近鉄って、自由枠や逆指名ドラフトで最も苦戦したチームだったような気がします
裏で大きなお金が動いていた時代でしたが、チーム事情で他球団のようにお金を出せず、在阪パリーグという人気の在京セリーグとは全く逆の立ち位置というのもあって、自由枠や逆指名で選手を確保する際も、目玉クラスではない大学社会人の選手からなんとか同意を得ていたという感じでした
昔の荒々しいパリーグの象徴のようなチームで、それでも魅力的な選手がたくさんいましたし、もし今の令和の時代にも存続していたらどんなチームになっていたんでしょうね